この度、2022年1月~3月まで、フランスのトゥールーズにあるClinique de l’Union Ramsay Santéに留学の機会を頂きましたのでご報告させていただきます。
もともと、この留学のお話を頂戴したのは2019年春でした。今思えば、当時はまだノーマスクで診療をしていて、学会がWeb開催される世界が直近に迫っているなど想像もしていませんでした。その日、午前の外来を終えて、たまたま仁木教授と昼食をご一緒させていただいたあと、少し話をしないか?と教授室に呼ばれ 「フランスで荷重時CTを使った研究をしてみないか?」とご提案を頂いたのが始まりでした。かねてより機会があれば海外留学をしたいと思っていた私でしたが、当時は英会話スクールで細々とレッスンを受ける程度の事しかできておらず、その日の夜「嬉しさ」と「期待」と「不安」が入り混じる不思議な感覚に高揚感を覚えながら、
Amazonで関連書籍を何冊も購入したのを今でも覚えています。
そして二日後に届いた本を読んで、CVの書き方、留学先の先生への連絡の取り方、失礼のない英文メールの送り方、現地での生活の方法、VISA取得の方法、住居選びや銀行口座開設について、電話を引く方法、家族で行く場合の費用、子供が入るインターナショナルスクールの手続きの仕方などなど、いままで留学経験をお持ちの医局の先生から耳学問で伺っていた話が現実味を帯びて来るに従い、本当の意味で自分は全くこれらの事を理解できていなかったのだと知って愕然としました(そして、まさかその過程で、上記以外にもコロナウイルスやウクライナ情勢の問題に直面するとは当時想像もしておらず、、、)。
しかし、仁木教授からご紹介を頂いた留学先のFrançois LINTZ 先生は親日家で、日本に留学経験もある、とても優しい先生でした。私の不安や判らない事にもとても親身に相談に乗ってくださり、お話を頂戴してからの数か月で話は大きく進み、2020年の11月から半年間フランスに留学できる手はずが整いました。あとは留学半年前になったら、フランス大使館でVISAを取得するだけと思っていた矢先、そこに待ち受けていたのがCOVID-19の問題でした。2020年1月に国内感染者確認のニュースが流れてからほどなく、ダイアモンド・プリンセス号の報道が発信され、感染は世界中にも拡大。とうとう2020年5月に行うはずだったVISA手続きも大使館から
休止が発表されてしまいました。そこから暫くCOVID-19のパンデミックは落ち着かず、もうダメかもしれないとあきらめかけていた2021年のオリンピック開催の頃、「短い期間でも良いのでまずは行ってチャレンジしてきては」と仁木教授から背中を押していただき、最終的に2022年1~3月での留学が叶うこととなりました。
留学先の病院がある、トゥールーズ市はフランス南西部に位置するオクシタニー地域圏の首府で、人口50万人、パリ、リヨン、マルセイユに続くフランス第4の都市で、エアバス社の本社がある都市としても有名です。病院が位置する場所は、同市中心部から地下鉄とバスを乗り継いで40分くらいの郊外にありました。日本とはシステムが異なるため、純粋な比較はできませんが、病院の規模としては、ちょうど西部病院や多摩病院と同じくらいの大きさで、地域の中核病院の役割を果たしていました。整形外科医は10名前後が常に在籍していますが、パーツごとに分かれて活動をしています。そのうち、私の専門としている足の外科を担当している医師は3名
で、私の指導を受け持ってくださったのは、François LINTZ 先生とNazim MEHDI 先生でした。
フランスのシステムは日本と異なり、医師1人がそれぞれ院内にオフィスを持ち、専属看護師1人、研究支援職員1人、メディカルクラークさん(秘書) 1人が1つのユニットを組んで治療に当たります。足の外科の場合は、1ユニットにつき年間約600件の手術をこなしており、チームでの年間手術実績や売り上げに応じて、 報酬が病院から支払われる形式とのこと。売り上げを上げるため、必然的にチームの結束力も強くなるようです。基本外来につくのも、手術の機械出しをするのもチームの専属看護師さんなので、医師側からすると自分の診療スタイルをよく理解してくれている人とタッグが組めるので、ストレスなく臨床をこなせるようでした。
しかし、逆に言うとこの看護師さんが欠勤すると、診療に支障をきたす影響も大きく、実際、たまたまではあるのですが、ちょうど私の出勤初日にLINTZ 先生のチームの専属看護師さんがCOVID-19に罹患して休職してしまい、人手不足になってとても困っているとのことでした。急遽、機械の準備や外来処置のサポートを私が手伝うこととなり、手術部のスタッフやチームメンバーから「日本から助けに来てくれてありがとう、ドクター!!」と、初日から大変な歓迎を受けました。
手術日は基本週4日、多いと1日に10件程度の手術症例をこなしていきます。取り扱う手術の内容は、外反母趾は基本chevron osteotomy、重度のものにはLapidus変法を行っていましたが、いずれも術翌日から特殊な粘着バンデージを装用して装具下に歩行させているというのが衝撃的でした。また荷重時CT(Weight bearing CT: WBCT)に力を入れている施設のため、基本術中術直後に手術室でX線確認はせず、術後2週と6週にWBCTのみ撮影、あとはかかりつけ医がフォローするシステムというのも印象的でした。
外来日は基本、LINTZ 先生とMEHDI先生の外来について、患者さんが診察室を出た後に個々の症例について治療方針をディスカッションする時間を作ってくださいました。これは治療方針を知る良い機会になっただけでなく、英語でディスカッションするという意味でも大変良いトレーニングになりました。また、基本診察はフランス語で展開されていますが、フランスの大都市は京都をはじめとした日本の複数の都市と姉妹都市となっているケースが多く、現地の患者さんは親日家がとても多く、私が日本人と知ると「こんにちは、私日本に行ったことあります」と日本語や英語で話しかけてくれる患者さんが何人もいて嬉しくなりました。
また肝心の研究についてですが、WBCTを用いて足関節固定術を実施した内反型OA患者の術前後の隣接関節に与える影響を調査する研究を行いました。これは距腿関節が固定された場合に、荷重環境下では隣接関節はどのような動きをするのかを、荷重時足部アライメントFAO (Foot Ankle Offset)とDistance Mapping という技術を用いたコンピューター解析から明らかとするものです。基本、平日の日中は朝7時~夜9時頃まで臨床の補佐や見学をしていたため、これらの解析は土日にホテルに戻ってから今流行りのテレワークで進めました。結果については、米国、フランス、日本の足の外科学会、日本整形外科学会基礎学術集会で発表し、本原稿執筆時、 英文誌に投稿するための準備を進めていますので、改めてAcceptされましたらご報告いたします。
最後に帰国間際に発生したハプニングを1つ。それは突然起きました。3月6日の帰国便に搭乗するために、帰国後の隔離ホテルの手続きや、PCR検査、日本への帰国書類を整えている最中、ロシアとウクライナの開題が激化し、欧州との対立に発展。3月2日以降の欧州-日本路線はロシア上空を飛行できないこととなり次々と欠航が確定、私が搭乗予定であったパリ-羽田便もフライト48時間前に欠航となってしまいました。急遽、航空会社に電話をするもデスクにつながらず途方に暮れてしまいました。困っている私を見たLINTZ 先生は、「Hiro! もう1~2か月フランスに居てくれるのか?私はそれでも全然かまわないよ。私の家に泊めてあげるから心配するな。」と冗談交じりに元気づけてくれました。幸いその後、ドイツ経由便がロシア迂回ルートで飛ぶこととなり私は無事帰国することができましたが、当時LINTZ 先生の励ましには本当に救われました。原稿の字数の関係で全容をすべて語ることはできませんが、私のコロナ禍の海外留学は、期間は3か月間と短いものではありましたが、これ以外にも衛生パスのエピソード、フランスの人の人生観や他国とのかかわり方、現地の人たちの暮らし方など本当に多くの事を学ぶ貴重な機会となりました。また、実際に留学をしてみて感じたことは、IT技術の進歩により、数年前であればとても面倒な作業であったであろう銀行口座開設、電話開通などを含めたインフラ手続き(このほとんどは「留学のすすめ」などの書籍にやるべき作業として登場するのですが)も今は、ほとんど不要です。海外からの資金の受け渡しをネットバンキングですることも可能ですし、携帯電話もSIMフリー化して渡航直後から現地のSIMを購入して利用することで現地携帯として使用可能です。さらにウーバーイーツに至っては日本で使っていたアプリがそのまま利用可能ですし、Amazonも日本でフランス版のアカウントを開設できます。留学のハードルは以前に比べてとても低くなっていると思われますので、是非、留学を考えている先生がいらっしゃいましたら、チャレンジすることを強くお勧めしたいと思います。
最後になりますが、この留学の機会を下さいました仁木教授をはじめ、私不在時の診療のサポートをしてくださいました、平野先生、秋山先生、軽辺先生、花田先生、そして整形外科医局員の皆様、また現地の皆様に深く感謝を申し上げます。誠にありがとうございました。